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逃亡日記-其の八
「帰国」5月23日(金)
フライトの1時間遅れ。
自分は引き続きロビー内をぶらぶら。。
夜の空港はやはりろまんちっくだね。

ゲートが開くまで窓越しにヒコーキばかり眺めてた。
しかしこの段階で自分が日本に帰るんだということが信じられないでいた。何で帰るんだ?自分は本当に帰るのか?このままここにいてもいいんじゃないか?またここにこれるのか?なんて感情ばかりが頭の中を駆け巡ります。
自分はただのバリ好きです。そのくせインドネシア語を勉強していない。でも今回ばかりは帰国後インドネシア語を勉強しようと思った。
さて、ゲートが開いた。
やはりこの日は金曜日ということもあってか、結構たくさんの乗客がおられます。
場内アナウンスが入る。つたない日本語で、
「びじねすくらすのおきゃくさまからおこしください」
まずはビジネスクラスのお客さんから搭乗していきます。
ビジネスクラスの乗客が一通り登場されたあと、エコノミーの乗客の搭乗。
再び場内アナウンスが入る。
「ざせきばんごう30ばんから40ばんのおきゃくさまはとうじょうぐちまでおこしください」
自分の座席番号は「J14」。
へ?
なんで?なんでさ?ちょいとお待ち!おかしくないですか?何かお忘れではないですか?何でいきなり30番から始まるのさ。戸惑う自分を尻目に乗客がどんどん搭乗していく。
こりゃいかん!負けてなるものか!と意を決して搭乗口に突進していった。
難なく通過できた。
アテにならない場内アナウンスだった。
さて、機内に入る。自分の席は「J14」。窓際席。
で、「J14」の席を見つけた。が、しばしその場で立ち尽くした。

お分かりになるだろうか。
窓がありません。
これは窓際席ではありません。「壁際席」です。
こんなことってあるんでしょうか? せっかく事前にリコンファームして座席の希望を聞かれたとき、気取って「うぃんどうさいどぷりいず」なんて英語で応えてたりしたのに。毎度の楽しみの窓際席が取れたのに何たること! 席に座り、そのずんべらぼうの「壁」をしばらくじっと眺めてしまった。 おそらく機体のつなぎ目か何かでしょう。 でも何でよりによってこんな席に当たってしまうのか?改めて自分が運命として背負ってしまってる運の悪さと間の悪さは本物で、如何とも動かしがたいものだということを実感しました。でもこのままで終わらせてなるものかと思い、まだ後ろの座席に誰も座っていないことをいいことに、シートを思い切りリクライニングしてみた。そのとき同時に隣のシートも一緒にリクライニングした。
姑息なごまかしテクニック。
後ろの席に座る人、ごめんなさい。許してください!
すると辛うじて窓が自分の真横に出現した。
後ろに人、本当にごめんなさい。でも分かってください。このまま壁を見続けて7時間のフライトは拷問です。どうか!どうかご了承ください!
やがて、飛行機が動き出す。ブッシュバックされながらエンジンスタート。
やはりこの瞬間は興奮する。
飛行機は滑走路に向かう。エンジンがうなりをあげる。そして離陸。
眼下にバリの夜景が広がる。。。はずだったが、進行方向に向かって右側に位置する「J」の席は海しか見えない。これが「A」の側の席だったら眼下にバリの夜景がすごく良く見える。
でもこっち側の席でよかったかも。
下手に夜景を拝むとそれこそ悲しくて仕方なくなっていたことでしょう。
程なくして眼下に何も見えなくなった。
突如眠気に襲われる。
次に目覚めたときは日本ですか。
何とも信じられない気持ちです。
眠気とともにこの1週間の思い出を整理する。やがて記憶がなくなり、眠りの世界へ。。。。ダイブして間もなく、またしても腹痛のためトイレに直行。
そこから約4~5時間ほど眠ったのだろうか。
目が覚めたときはすでに日本領海まで来ていた。
気持ちはどんよりする。
帰ってきてしまったか。。。おまけに軽く風邪をひいてしまってる。そりゃ機内はむちゃくちゃ寒かったから無理もないか。はなぢるが止まらない。だるい。

なんだかこの1週間は何だったのだろうか?
一瞬のうちに現実に連れ戻されてしまうこの切なさ。
関空が近づいてきた。
でもそのとき、またしてもお腹の急降下が襲ってきた。
これはヤバイなとトイレに向かおうとしたとき、
「当機は間もなく関西国際空港に着陸します。テーブル、座席を元の位置にお戻しになってシートベルトを着用ください。」ときたもんだ。絶体絶命のピンチです。最悪だ。
そこから着陸して、飛行機を降りるまでの間はまさに地獄。
お願いだから今すぐ着陸してくれと必死に願い続ける。
でもそんな時って恐ろしく時間が長く感じるもの。
額に浮かぶ脂汗。ぐるぐる鳴るお腹。
仕事の粗いガルーダさん。お願いだからスムーズランディングでお願いします。
衝撃はお腹にこたえます。
そこから着陸までの間、あまり記憶がありません。
肛門を渾身の力で締め付けることで頭がいっぱいでした。
着陸を楽しむ余裕なんてございません。
も、もうアカン。。。と思ってたら知らぬうちに飛行機が着陸していた。
本当にあまり記憶がなかった。
自分の席は比較的降車口に近かったのは幸いだった。
あたふたと飛行機から降り、一目散にトイレに向かう。
。。。。。。。。。。。
天国。。。。。。。。。
間に合った。。。。。。
放心状態でトイレから出るとそこには行列ができていた。
びっくらこいた。自分と同じようにお腹の急降下の人がたくさんいたのだろう。
昨日の夜、サンバルをいっぱい放り込んで激辛で麺料理を食べたため、お尻は火がついたように熱い。出国口まで内股でそろそろ歩くことに。肛門がことのほか熱い。
無事出国し、さて、帰るかと思いきや、今回の旅の前に関空に帰ってきたら空港内を楽しんでから帰ろうと決めていた。
コインロッカーにスーツケースを放り込んでいざ関空散策に。
施設をとめどなくぶらぶらする。
カフェテリアでメシを食う。
そして展望ホール「Sky view」に向かう。
送迎バスに乗ること約10分。展望台ホールに到着。
お目当ては3階のショッピングエリア。
飛行機関係のグッズが多数取り揃えてある。
そこでコンコルドのプラモデルとかあったら買って帰ろうと思ってた。
でもプラモデルはほとんど置いてなかった。でもとっても欲しくなる飛行機のDVDはたくさんあった。それだけでもちょい興奮。以前から欲しかったコンコルドのDVDがあったので即効購入した。
その後展望台に向かい、飛び立つ飛行機をただひたすらぼんやり眺めていた。
そのうちガルーダインドネシアの機体が見えた。
自分が帰ってきたのは午前8時。
そこから整備して再びバリに帰っていくのです。たくさんのお客さんを乗せて。

飛び立っていくガルーダを眺めながら、「乗せてくれー!」と心で叫んでた。
時間が巻き戻らないかと心から思った。
このまま夕方までここでずっと飛行機を眺めていたかったが、機内であまり眠れなかったこともあってか、体調がどんどん悪くなってきたので泣く泣く帰ることにした。
コインロッカーから荷物を引きずり出し、バスターミナルに向かう。
そしてバスに乗り込み、一路京都に帰る。
しかし、バスが走り出して程なく眠ってしまう。道中何度か目を覚まして、気合と根性で起きて景色を眺めようとするもののさすがの眠気には勝てず、結局ほとんど眠っていた。
約2時間後、京都に到着。その後ふらふらになりながら八条口よりMK乗り場に向かう。
タクシーにて自宅へ向かう。本当の旅の終わりに向かう。
タクシーの運ちゃんと会話が弾む。
というのも自分が乗ったタクシーの運ちゃんは日系ブラジル移民の2世ということでした。もう結構な高齢です。微妙に日本語がつたない。あと二日で運転手を辞めて、その後インドと中国に旅行にいくということだった。
ブラジルというキーワードに自分が食いつく。
自分がアイルトン・セナを尊敬していると話すと、「あー。アイルトンねー。僕はねーネルソン・ピケが好きだったけどねー」と返してきた。そこからしばしブラジル人F-1ドライバー話で盛り上がる。
「セナとかって、やっぱりブラジルでは英雄でしょ?」とたずねると、
「うーん。いや、そうでもないよー。どちらかというとジーコやペレのほうが英雄よ。」と。
頼むから「セナはブラジルの英雄だ」と言ってくれ。。。
そうしているうちにタクシーは自宅前に到着した。トランクからスーツケースを出すとき、そのおじいちゃんドライバーはよたよたしてたんで結局自分が荷物を降ろした。
「インドと中国旅行楽しんできてくださーい。」と声をかけ、そしてタクシーは過ぎ去っていった。
今度は後部ドアは開いていない。大丈夫。大丈夫。
さあ、久しぶりの我が家。
「はあ。。。帰ってきてしまった。。。。」というのが最初の感想。
荷物を解体し、汚れたスーツケースをまたぴかぴかに磨き上げる。
そして風呂に入り、布団に倒れこむ。そのまま熟睡。荷物の整理はまだ終わってない。
部屋に荷物やら何やらが散乱したまま。
目覚めたのは深夜。腹が痛くて目が覚めた。
トイレに行って、用を足し、再び布団にダイブしたら再び即就寝。
そして朝を迎えた。
布団の上でしばらくぼんやりして今回の旅のことをいろいろ思い返していた。
長々と、読むのも嫌になるくらい文章を書いてきたが、実はこれでもそうとう端折ってる。
まだまだ延々書き続けることができるくらい今回の旅は1分1秒が克明に心に焼きついている。
出発前の状況が、もう本当にひどいものだったから余計に心に残ったのかもしれません。
いろんな厄をバリに置いてきたように思えます。
ただし、出発前に壊れてしまった心のいろんな部分は完全にリペアされたわけではありません。その残骸を修復していくにはまだまだ時間が必要です。
さて、これからどうなっていくのでしょう。先のことは本当に分かりません。
ただ確実なのは、この先、まだまだ大きな苦しみが待ち構えてるということ。
また出発前のような、もう本当にどうしようもない状況が繰り返すことと思います。
そうなったらまたバリに行こう。
やはり自分にとって、バリには何かがある。さすが神々の島。
かといって、そこで生きていこうという気持ちはありません。
生きていく場所はあくまで日本。
もしこの先、自分にとって守るべきものが何もなくなったら、そのときはバリで余生を過ごしてもいいかなと思います。自分にはまだまだやらなきゃいかん仕事が満載されています。
さて、これからは。。。
とりあえずインドネシア語を少しづつでも勉強していこう。。。。
次はいつ行けるのかな?また行ける日がくることを楽しみに待つとしよう。
ということで、バイバイ。バリ。また会う日まで。

Truckback (0)
○Truckback URL >> http://www.kiuchidenki.com/admin/mt-tb.cgi/157
コメント(1)
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写真がいいです〜!
最近、ジオグラフィック調の写真がマイブームになってまして、子どもの写真とか良かったですわ。
あ〜ぁ、自分も撮影旅行にいきたくなりました。